インセプションー冒頭の字幕・音声逆転についての考察(ネタバレあり)

映画の冒頭、字幕が英語で音声が日本語で始まる。
あれっ?何だ?字幕版って言ってたのに?
と思っていると、もう一度同じシーンが、字幕が日本語、音声英語で始まる。
何だ、劇場側の間違いか?と一瞬思ったが、

いや待てよ、公開から相当長い間経っていて、それはない。

これって、何かの伏線だ、絶対意味がある、と思って映画を観る。


映画を見終わり、あの最初の冒頭の字幕・音声逆転は何だったのだろう?と車で家に帰るまで考えて、出した結論は、



「夢の共有」のイメージの提示。
サイトーの夢とコブの夢。
日本語音声は、サイトーの、英語音声は、コブの夢のイメージ。
イメージの提示。
共有の夢を見ている人間の感覚を提示したんだと思う。


この映画、夢の共有というコンセプトがあり、夢と夢をつないで夢を共有していくわけだけど、一人の人の夢を何人かが共有するわけではなくて、みんながみんなの夢を共有している。
誰の夢にどうやって入るかは、提示されていないのだが、機械を使って行っていたので、これでその決定が操作できるのではないだろうか。
また夢は、その世界を構築できる才能ある人間がいて、人の夢の中で勝手に世界を構築できる。
俺の夢、って思っている夢でも誰かに作られた世界。
夢の中の夢は、「下の階層」
夢が多重階層している。

コンピュータの世界だね。
サーバにアクセスするわけじゃなくて、クライアントPC同士がそれぞれハードディスクにアクセスし合っていて(共有フォルダって言っていた人いたけど、それは正確じゃないね)どこのPCハード内のどのレイヤーで作業するのか。誰がそこでフォルダやファイルを作るのか。
訓練するとアンチヴイルスソフトが起動するらしい。


本編では、あの女の子がどの人の夢の中でも第3階層までの世界(フォルダとファイル)を作っていた。
第4階層は、コブだったけど。
ひとつコンピュータの世界と違うのは時間の観念。
これがまた面白い。


この映画自体については、いろいろ言われているが、冒頭のシーンについては触れている人が少なかった。



みんな、想像力が足りないんじゃないだろうか。



もっとこれについていろいろと意見が聞きたい。
おまえ、それ間違っているよって。
指摘されたいな。