「赤と黒」畏友katsuについて

畏友もすなるブログ更新というものを、僕もしてみむとてするなり。


「赤と黒」と言っても、ロッソ・ネロ(ACミランの愛称)の事ではありません。
またNHKの韓流ドラマでもありません。
畏友katsuは、韓流スターにも似てるとしばしば言われるので、主人公役のキム・ナムギルに似てないこともないけども。
プリンプリン物語に出て来たヘドロの歌でもありません。
ヘドロの歌(03:52)から出てきます。


あの古典スタンダールの「赤と黒」です。
Amazonで詳細を見られるなら、下記を参照されて下さい。

赤と黒 (上) (新潮文庫)

赤と黒 (上) (新潮文庫)


モウ読んだ、という方は、松岡正剛さんの千夜千冊をご覧になると自分の感じ方と比較できて面白いと思いまする。


今は昔、僕は大学時代に「katsuは、ジュリアン・ソレルに似ている」と言ったらしい。
それでkatsuは、「赤と黒」を読めなくなったとか。
僕は、大変失礼なやつで、おそらくその時、高みから見下すように次のような感じで宣ったのではないかと推察される。
”え〜、まだスタンダールの赤と黒も読んでないの〜〜〜じゃ、ジュリアン・ソレルのことも分かんないだろうけど、似てるよ〜、読んでみ〜〜〜”
いやですね。そんなの感じで言われたら。
katsuはプライドが高く、後塵を拝することが我慢ならない質(たち)なので、傷ついたに違いない。
僕は昔から悪気なく人を傷つけることがあって、そう自分でも分かっているので、ずいぶん気をつけてはいるのだけど、未だにそうやって知らぬ間に人を傷つけてしまうことがある。
1年前の出来事も、おそらくそうだった。
申し訳なく感じ、しばらくTwitterでやり取りのあった方と距離を置いた。
自業自得です。
ちと脱線しました。


20年来の親友・悪友・畏友であるkatsuは、恐ろしい男です。
持て余す才能があり、ものごとの本質を丸ごと飲み込むことができる実力者であり、激情家で、全盛期のライアン・ギクスがジャックナイフと呼ばれていた頃のような切れ味を持っている。
正直、昔はそんな才能と胆力と容姿に恵まれたこの男を羨望し、嫉妬していた時期がありました。
しかし、あれから幾星霜が経ち、お互いに人生に揉まれ、熟成され、そんな感情も薄れ、ほぼ無くなりました。


いまは逆に、どうやってkatsuは自分の幸せを掴むのだろうか、と考えます。
あれだけの才能があり、力があり、多くの女性にもモテているけど、孤独なのだと、本人は言います。
僕の昔からの持論であるけど、才能とは諸刃の剣だと思っています。
人が出来ないことが出来、多くの問題を解決できる力があるけど、その質量と同じくらい自らの精神を切り刻むものなのだと。
才能がほとんどない僕には想像の域を出ませんが、多くの天才が自分の力を持て余し、苦しんでいるように、katsuも辛いのだろうと。


今日電話で話して、相変わらずアホなこと(詳細は触れられない)を言っているこの畏友について少し考えてみた。


とにかく久々に一緒に飲みたいよ。
会って話すことは、サッカーと最近読んだ本と昔話くらいだろうけど、あのショウモナイ時間がなんとも愛おしい。
また酔っぱらって意味なく裸になって相撲とったりしてもいいよ。
場末の卓球場で。