2008年8月のこと

長男を出産して10日後(退院して3日後)くらいに奥さんが大量出血した。
職場に奥さんから電話があり、出血したのですぐに帰って来て欲しいと言われ、帰って奥さんの部屋に入ったら、布団の上が血の海だった。
愕然とした。
この状態で、このままでいることが、理解できなかった。
なぜすぐに病院へ行かないのか?と思った。
出産した病院に電話したら、様子をみるように言われたそうだ。
しかし、これはまずいと思ったので、救急車に電話して、すぐに近くの病院にいくように手配した。
救急車が来たので、奥さんを起こそうとしたら、立つ途中で白目をむいて、気絶した。
大声で何度も名前を呼び、何度も頬を叩いた。
なんとか意識が戻り、奥さんの両親に付き添ってもらって救急車へ乗せた。


暫くしてお義母さんから電話が入り、出産した病院へ救急車で連れて行くことになった、と言われた。
なぜ?と思った。
出産した病院は、奥さんの実家(産後里帰りしていた)から車で1時間半かかる離れた場所にある。
遠い。
もっと近くで治療できないのか?と思いつつ、息子の面倒をみないといけない。
しかし、奥さんの様子も気になる。
このままここにいても何もできないので、生後10日の息子を連れて病院に向かうことにした。
正直、一人で1時間半もの長い間生後10日の乳飲み子である息子を車に乗せていくのは不安だった。
案の定、1時間くらい経つとお腹が空いたのか、ぎゃーぎゃー泣き出した。
もうすぐだから、もうすぐだから、と声をかけながら運転した。
そうやって息子をあやしながらも、奥さんに「もしものこと」があったら、どうしよう、と悪い想像ばかりが働いた。
ものすごく長く辛い1時間半のドライブだった。


病院に着き、息子を看護士さんに引き渡し、とりあえずミルクを飲ませてもらった。


その後の記憶があまり定かではない。
大変すぎて覚えていない。
奥さんは治療のおかげで何とか大事には至らなかった(といっても大量出血している時点で「大事(おおごと)」ですが)
その夜、奥さんと対面して、手を取り合って泣いた。
とにかく命があって良かったと。


大量出血の原因は、「子宮復古不全」だったようだ。
子宮復古不全とは『産後に戻ろうとしている子宮がうまく収縮せずに戻りにくくなっている状態』
原因としては
胎盤や卵膜の一部が子宮の中に残っている場合が多いようで、うちの奥さんの場合もそうだった。
稀に症状として大量出血するようで、ひどい場合には子宮摘出しなくてはいけない場合もあるようだ。
参考サイトは、以下です。
「助産師uticoのブログ」→出産後の大量出血
「電子母子手帳」→子宮復古不全


今回、なぜこのエントリーを書いたかというと、ある人のブログを読んで、日頃から感じている世の不条理、命の儚さを、もう一度噛み締めておきたいと思ったからだ。
人はいつか死ぬ。
自分も自分の愛する人も、いつか死ぬ。
自分や奥さんや子どもや親友が、いつか死ぬ。
しかし、日頃その事を意識してはいない。
人は勝手なもので、いるとそれが当たり前に思えてしまう。
いなくなって初めてその大切さに気づく。
または、危機的な状況になって初めて気がつく。


僕はこの時、愛する奥さんを喪いかけた。(おおげさかもしれない)
僕と息子は全く違う人生を歩むことになるところだった。
娘の誕生はなかった。
あの時、奥さんの子宮が摘出されていれば、娘は産まれてなかった。
息子も、1度喪いかけた→特発性血小板減少性紫斑による入院のエントリー(これもおおげさかもしれない)
娘も、2度喪いかけた。(生後2ヶ月でRSウイルスで無呼吸に2度なり、2回とも入院する)


娘の2歳の誕生日に、もっと自分と自分の愛する人たちを大事にして生活していこう、と感じたので、4年も前の話を書いてみました。
今日読んだ、古賀洋吉さんのエントリーはこちら→Betsyの話