息子が、赤ずきんちゃんをやるようになった理由(わけ)

明日は息子と娘が通っている保育園の発表会。
息子(4歳)は、劇「赤ずきんちゃん」で主役の赤ずきんちゃんをやることになっている。
最近の保育園の発表会は、主役が1人ではなく、数人いるみたいで、今回も4人が赤ずきんちゃんをやるようだ。
4人のうち3人は女の子で、うちの息子1人だけが男の子。


なぜ、そうなったのか?


その理由を知ったのは、僕が東京出張中の時で、朝、奥さんからメールをもらって分かった。
どうやら夜寝る前に息子が奥さんに話した模様。
以下、奥さんからのメールをそのまま書いてみる。(息子の名前と先生の名前は出さずに)

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赤ずきんをやめる人が続出して先生が困っていたので、○○くん(息子)がハイって手をあげたんて
そしたら○○先生(担任の先生)がまあ!って避難訓練みたいに口に手を当てたと
で、まあ、ありがとう!と言われたと
本当はオオカミでガオーて言ってみたいらしい
でも赤ずきんも頑張るって
昨日全部の台詞を通していってくれた
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僕は皆さんご存じの通り親バカなので、このメールをもらって、胸が詰まった。
僕も襟を正してしっかり仕事して、いや仕事だけでなく、生きていかないといかんな、と思ったわけです。


うちの教育がうんぬんではなくて、息子は1歳になる前から、周りで泣いてる子がいたら気になって仕方なく
2歳になる前くらいからそういう子がいると「大丈夫かね〜?かわいそうやね〜。。。。」と言っていた。
そういう性分なんだと思う。
損をする性格かもしれない。


でも、僕は、息子を誇りに思う。
そして、心から愛している。
親くらいは、子どもを愛してあげなくて、誰が愛すの?


娘の話は、また今度します。
もちろん息子と同様に愛している。
可愛い過ぎて、仕方ない存在です。

複眼的な視点を持ちながら人生の本質について考え感じ生きていく

今年最初のエントリーを書くに当たり、このチョーパーソナルなブログでまず言わなくてはならないことは、

遅ればせながら、


ねこみさん(仮名)、ご出産おめでとう!!!


ホントに良かった。
子育ては大変ですが、大変な分だけ幸せもあるので、どうぞその幸せを全身で感じて下さい。
元々母性の塊のようなあなたなので、僕から言われるまでもないでしょうが。


次の話題。
人は、死ぬまで生きる。
これ当たり前のことです。
でもみんな普段は自分の死ぬことをリアルに考えていない。
怖いから。
もしあと数ヶ月の命だったら何を優先するか、とかあと数年の命だったら何を優先するか、とか具体的に考えていない。
僕はここ一ヶ月くらい、そういったことを時間を作って一日に数分だけ考えて、ノートに書き出してみた。


まだそのノートは途中なのだけど、やってみると自分がやりたいこと、やらなくてはいけないことが少しはっきり見えてきた。


今の自分にとって何より大事なのは、まだ小さい子ども。
これはあと20年くらいは変わらない。
20歳を過ぎれば、最優先ではなくなるかもしれないが、今からあと20年は最優先。
次に妻との時間。
これは子どもと密接にリンクしているのでほぼ最優先。
その次は、友人たちとの時間。
つい最近も大学の頃の友人と話して、楽しくて話し過ぎた。

そして仕事。
こう書くと、仕事の優先順位が低くて、仕事を手抜きしているのではないか?と思われるかもしれないが、それは違う。
状況によっては、家族よりも仕事を優先することもある。
上に書いてきたことと矛盾するように思われるだろうが、家族が安定している(心身共に健康である状態)のであれば、時間を仕事に当てることも良くあるということだ。


仕事は、好きだ。
課題や問題を解決することが好きなので、どうすればこれから先の教育をよく出来るのか。
現場の人間としてミクロ的視点で目の前の問題について考えるし、同時に未来を想定してマクロ的に構想することもする。
すぐには飛躍的に目に見える形でよくはならないが、目的を明確にしてブレずに地道にやっていくしかない。
あっ、これは仕事のブログの方に書く内容だった(笑)


何をやっても簡単ではない。
センスと理解力の差が嫌というほどあるこの世の中で、誰かに自分の考えを理解してもらえることなどあまり期待しない方が良いかもしれない。
分かってもらえない!と子どものように地団駄踏んでいてもダメで、そういう時は物事を複眼的にそして長期的に視る必要がある。
結果は、かなり後からついてくる。
そしてその結果は一瞬だ。
しかし、努力を続けない限り、その一瞬すら感じられない人生になってしまう。

「赤と黒」畏友katsuについて

畏友もすなるブログ更新というものを、僕もしてみむとてするなり。


「赤と黒」と言っても、ロッソ・ネロ(ACミランの愛称)の事ではありません。
またNHKの韓流ドラマでもありません。
畏友katsuは、韓流スターにも似てるとしばしば言われるので、主人公役のキム・ナムギルに似てないこともないけども。
プリンプリン物語に出て来たヘドロの歌でもありません。
ヘドロの歌(03:52)から出てきます。


あの古典スタンダールの「赤と黒」です。
Amazonで詳細を見られるなら、下記を参照されて下さい。

赤と黒 (上) (新潮文庫)

赤と黒 (上) (新潮文庫)


モウ読んだ、という方は、松岡正剛さんの千夜千冊をご覧になると自分の感じ方と比較できて面白いと思いまする。


今は昔、僕は大学時代に「katsuは、ジュリアン・ソレルに似ている」と言ったらしい。
それでkatsuは、「赤と黒」を読めなくなったとか。
僕は、大変失礼なやつで、おそらくその時、高みから見下すように次のような感じで宣ったのではないかと推察される。
”え〜、まだスタンダールの赤と黒も読んでないの〜〜〜じゃ、ジュリアン・ソレルのことも分かんないだろうけど、似てるよ〜、読んでみ〜〜〜”
いやですね。そんなの感じで言われたら。
katsuはプライドが高く、後塵を拝することが我慢ならない質(たち)なので、傷ついたに違いない。
僕は昔から悪気なく人を傷つけることがあって、そう自分でも分かっているので、ずいぶん気をつけてはいるのだけど、未だにそうやって知らぬ間に人を傷つけてしまうことがある。
1年前の出来事も、おそらくそうだった。
申し訳なく感じ、しばらくTwitterでやり取りのあった方と距離を置いた。
自業自得です。
ちと脱線しました。


20年来の親友・悪友・畏友であるkatsuは、恐ろしい男です。
持て余す才能があり、ものごとの本質を丸ごと飲み込むことができる実力者であり、激情家で、全盛期のライアン・ギクスがジャックナイフと呼ばれていた頃のような切れ味を持っている。
正直、昔はそんな才能と胆力と容姿に恵まれたこの男を羨望し、嫉妬していた時期がありました。
しかし、あれから幾星霜が経ち、お互いに人生に揉まれ、熟成され、そんな感情も薄れ、ほぼ無くなりました。


いまは逆に、どうやってkatsuは自分の幸せを掴むのだろうか、と考えます。
あれだけの才能があり、力があり、多くの女性にもモテているけど、孤独なのだと、本人は言います。
僕の昔からの持論であるけど、才能とは諸刃の剣だと思っています。
人が出来ないことが出来、多くの問題を解決できる力があるけど、その質量と同じくらい自らの精神を切り刻むものなのだと。
才能がほとんどない僕には想像の域を出ませんが、多くの天才が自分の力を持て余し、苦しんでいるように、katsuも辛いのだろうと。


今日電話で話して、相変わらずアホなこと(詳細は触れられない)を言っているこの畏友について少し考えてみた。


とにかく久々に一緒に飲みたいよ。
会って話すことは、サッカーと最近読んだ本と昔話くらいだろうけど、あのショウモナイ時間がなんとも愛おしい。
また酔っぱらって意味なく裸になって相撲とったりしてもいいよ。
場末の卓球場で。

生活習慣を変えて一週間たったのでメモしておく

生活の質をあげよう!
と思い、食生活改善と軽い筋トレを始めて一週間がたった。


結果、
体重は3キロ減った。
体が軽くなった。
今までより食事が美味しく感じられるようになった。
仕事もアイドリングの時間が少なくなった。


子ども2人にまとわりつかれても筋トレと思い頑張っています(笑)


だがまだまだ体がたるんでいるので、油断せずに生活しよう。

しかし、
iPhoneからWebログインしてブログ書くの書きにくい(−_−;)

徒然なるまま

現在12月4日早朝3時24分。
21時に寝て1時に起きて1時30分くらいから仕事してます。
1時間くらい仕事して、休憩。
休憩中ふと思いたって日常を円グラフで表そうとExcelで頑張って作ってましたが、うまくいかず断念。
MacのExcelはとても使いづらい(笑)


松井さんのブログに人生についての面白いエントリーがあったので、明日「とあるプロジェクト」でこれを使って簡単なワークショップしてみようかと考えている次第。
松井さんのエントリー「マヨネーズの瓶と2本のビール」
http://matsuhiro.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html


と、ここまで書いたところで息子から「おしっこがもれた〜」との緊急声明が発声されたため中座しました。
現在4時25分(笑)
1時間も腕枕付き添い寝をしてしまった。
いつものことですが。
http://d.hatena.ne.jp/wataru_m/20120424/1335274145


もうちょっといろいろ書きたかったけど、仕事に戻らないといけないのでこの辺で。
あと1時間は仕事できるはず。
5時半からは奥さんと一緒にご飯作ったり洗濯したりしないといけないので。
最近は毎朝そうしています。

夫の成長を阻む「夫の操縦術」

面白いネタを見つけたので、それをネタに短めのブログを書いてみる。
「放置は危険! 出産で変化する夫の心理」というタイトルの以下のエントリー
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20121004-00000001-allabout
このエントリーはホントつっこみどころ満載です。
エントリー全部を引用してつっこんでみたい誘惑に駆られますが、そこは大人げないのやめます。

しかし、う〜ん、この手の男性の心理を理解して行動し夫婦関係を円滑にしましょう、というエントリーはよく見かけるのだけど、この手のエントリーを読んでいつも思うのは、

夫は子どもか?


ってこと。
夫の心理については、確かに当たっている部分もあるとは思う。
しかし、これ(この対処法)は男をダメにするよね。
だって「僕ちゃん」のまま成長せずに年齢重ねてしまうよ。これやられたら。


もし、「妻に相手にされないことで夫が離婚を切り出したら妻や子どもが困るからやはり夫はうまく操縦しなくてはいけない!」と思っているなら、まあ確かに経済的に苦しくなるかもしれないが、そんなこと(妻に相手にされない)で浮気に走ったり離婚を切り出したりするくらいの男なら、さっさ別れた方が今後の子どもと妻のためになる、と思うね。


自立できてない男を夫に持つことの心理的負担って経済的負担よりもかなり大きいでしょうよ。

最後の

お子さんをかわいいと思うと同時に、「この子を授かったのも夫と結ばれたからだ」と気持ちを新たにして、女性として「終わってる」妻にならないよう、もう一度わが身を振りかえってみてはいかがでしょうか?
見過ごすと大変なことになる夫の「変化」を賢く見抜いて対応しましょう。

も全く逆に考えたらいいよ。
お子さんをかわいいと思うと同時に、「この子を授かったのも妻と結ばれたからだ」と気持ちを新たにして、男性として「終わってる」夫とならないよう、もう一度我が身を振り返ってみてはいかがでしょうか?
見過ごすと大変なことになる妻の「変化」を賢く見抜いて対応しましょう。

いや、すみません。
だいぶ皮肉りましたが、ようは男女とも自立してパートナーとして生活していきたいですね、ってことです。
悪意はありません。
ごめんめ〜
(最近2歳の娘が、「ごめんね〜」とはよう言わずに使う可愛い言葉)
ごめんめ〜

2008年8月のこと

長男を出産して10日後(退院して3日後)くらいに奥さんが大量出血した。
職場に奥さんから電話があり、出血したのですぐに帰って来て欲しいと言われ、帰って奥さんの部屋に入ったら、布団の上が血の海だった。
愕然とした。
この状態で、このままでいることが、理解できなかった。
なぜすぐに病院へ行かないのか?と思った。
出産した病院に電話したら、様子をみるように言われたそうだ。
しかし、これはまずいと思ったので、救急車に電話して、すぐに近くの病院にいくように手配した。
救急車が来たので、奥さんを起こそうとしたら、立つ途中で白目をむいて、気絶した。
大声で何度も名前を呼び、何度も頬を叩いた。
なんとか意識が戻り、奥さんの両親に付き添ってもらって救急車へ乗せた。


暫くしてお義母さんから電話が入り、出産した病院へ救急車で連れて行くことになった、と言われた。
なぜ?と思った。
出産した病院は、奥さんの実家(産後里帰りしていた)から車で1時間半かかる離れた場所にある。
遠い。
もっと近くで治療できないのか?と思いつつ、息子の面倒をみないといけない。
しかし、奥さんの様子も気になる。
このままここにいても何もできないので、生後10日の息子を連れて病院に向かうことにした。
正直、一人で1時間半もの長い間生後10日の乳飲み子である息子を車に乗せていくのは不安だった。
案の定、1時間くらい経つとお腹が空いたのか、ぎゃーぎゃー泣き出した。
もうすぐだから、もうすぐだから、と声をかけながら運転した。
そうやって息子をあやしながらも、奥さんに「もしものこと」があったら、どうしよう、と悪い想像ばかりが働いた。
ものすごく長く辛い1時間半のドライブだった。


病院に着き、息子を看護士さんに引き渡し、とりあえずミルクを飲ませてもらった。


その後の記憶があまり定かではない。
大変すぎて覚えていない。
奥さんは治療のおかげで何とか大事には至らなかった(といっても大量出血している時点で「大事(おおごと)」ですが)
その夜、奥さんと対面して、手を取り合って泣いた。
とにかく命があって良かったと。


大量出血の原因は、「子宮復古不全」だったようだ。
子宮復古不全とは『産後に戻ろうとしている子宮がうまく収縮せずに戻りにくくなっている状態』
原因としては
胎盤や卵膜の一部が子宮の中に残っている場合が多いようで、うちの奥さんの場合もそうだった。
稀に症状として大量出血するようで、ひどい場合には子宮摘出しなくてはいけない場合もあるようだ。
参考サイトは、以下です。
「助産師uticoのブログ」→出産後の大量出血
「電子母子手帳」→子宮復古不全


今回、なぜこのエントリーを書いたかというと、ある人のブログを読んで、日頃から感じている世の不条理、命の儚さを、もう一度噛み締めておきたいと思ったからだ。
人はいつか死ぬ。
自分も自分の愛する人も、いつか死ぬ。
自分や奥さんや子どもや親友が、いつか死ぬ。
しかし、日頃その事を意識してはいない。
人は勝手なもので、いるとそれが当たり前に思えてしまう。
いなくなって初めてその大切さに気づく。
または、危機的な状況になって初めて気がつく。


僕はこの時、愛する奥さんを喪いかけた。(おおげさかもしれない)
僕と息子は全く違う人生を歩むことになるところだった。
娘の誕生はなかった。
あの時、奥さんの子宮が摘出されていれば、娘は産まれてなかった。
息子も、1度喪いかけた→特発性血小板減少性紫斑による入院のエントリー(これもおおげさかもしれない)
娘も、2度喪いかけた。(生後2ヶ月でRSウイルスで無呼吸に2度なり、2回とも入院する)


娘の2歳の誕生日に、もっと自分と自分の愛する人たちを大事にして生活していこう、と感じたので、4年も前の話を書いてみました。
今日読んだ、古賀洋吉さんのエントリーはこちら→Betsyの話